薔薇天女


 ――白梅さん。
 多分、この手紙はあなたに届かないと思います。
 それでも万に一つ、混乱に紛れてあなたの元へ届いてくれることを祈って、僕はこの手紙を書いています。
 本当は会って話をしたいけれど、きっとそれは無理なので。
 汚い紙で本当にすみません。ひどい質の紙なので、インクがなかなか乾きません。もしもあなたのところへ届いたとき、あなたの手が擦れて汚れてしまわないか、それだけが気懸りです。


 突然姿を消してしまったものだから、怒っていることだと思います。毎晩お店まで迎えに行くと言う約束だったのに、それを守れなくてすみません。
 もしかしたら、裏切られたと思っているでしょうか。あなたが水商売の女だから、僕は遊びで付き合ってそのまま捨てたのだと思っているでしょうか。
 「あんたにそんな甲斐性はないわ」と思っていて下さったらありがたいです。その通りです、白梅さんは元々、僕には勿体無さ過ぎる素敵な女性ですから。だからこそ、もしも待ちぼうけをさせてしまっていたら、申し訳なくて堪りません。
 すみません、せっかくあなたと約束したのに、僕はもうあなたを迎えに行くことが出来ません。あの夜道は女性が一人で歩くにはちょっと危な過ぎるから、誰か別の人に送り迎えを頼んで下さい。それが駄目なら、お店の他の人達と一緒にアパートまで帰って下さい。絶対に一人であの辺りをうろうろしないと約束して下さい。変な酔っ払いに絡まれているんじゃないかと思ったら、僕は不安で夜も眠れません。どうかどうかお願いします。


 僕の部屋の合鍵は、こっそりどこかに捨てておいて下さい。大丈夫だとは思うのですが、万一あなたが僕の共犯だと思われてしまったら困ります。少し寂しいですが、僕と一緒にいたことを匂わせるものは全部処分して下さい。とは言っても、僕はろくに何もプレゼントなんか出来なかったから、多分鍵以外は何もないと思うのですが。
 ――あ、そう言えばあの薔薇の鉢。花屋に半額で並んでいたおつとめ品だったので、プレゼントしたときにはもうすっかりくたびれてしまっていたから、もう枯れてしまっているんじゃないかと思うのですが――もしも残っていたら、処分しておいて下さい。薔薇には可哀想ですが、あなたの身の安全が一番大切ですから。
 あのときはあんな萎れた鉢植しか渡せなくてすみませんでした。先輩に初めてお店に連れて行ってもらったとき、あなたのダンスが余りにも綺麗で、どうしても薔薇の花をプレゼントしたかったんです。だけどお金がなくて切花すら買えなくて、お店で一番安かったあれが精一杯でした。お店の人も気付いていない小さな蕾があったと思うのですが、あれはちゃんと咲いたでしょうか。
 葉っぱも黄ばんで縮こまって、花も萎れて色褪せた鉢だったのに――失礼だと憤慨されても仕方なかったのに、笑顔で受け取って頂けて本当に嬉しかったです。ありがとうございます、本当に嬉しかったんです。
 あなたに会いたくてお店に通うと、あなたは必ずステージの上から僕のことを見付けてくれて、しかもダンスの後には欠かさず挨拶に来てくれて、僕は天にも昇らんばかりでした。それなのにいつもあなたのステージだけ見たらさっさと帰ってしまっててすみませんでした。ボトルとか入れられなくて、お金あんまり出せなくてすみませんでした。実家の祖父からの仕送りと、バイトの金でかつかつでやって行ってたので、いつも本当にお金なかったんです。それでもどうしてもあなたに会って、あなたのステージが見たかったんです。
 僕はこの通り、受験料が払えなくて二浪もしたみっともない苦学生で、今まで畑の土と本以外を知らずに生きてきていました。そんな中であなたは、初めて見る華やかで鮮やかで綺麗な綺麗なものでした。ステージの上でくるくると綺麗に舞うあなたは、僕にとって本物の天女でした。実は僕は、うっかりあなたの羽衣を持って行ってしまいたいなんて思ったこともあったんです。
 ――手紙って嫌ですね、恥ずかしいことをぽろぽろ暴露してしまう。こんなこと口が裂けても言えません。
 でも、あなたを天女だと思ったのは本当です。
 あなたは本当に、僕にとって別の世界の人でした。
 明るくて眩しくて、僕なんか目が瞑れてしまいそうなほど綺麗な天上の人でした。


 研究が忙しくて、バイトを減らさざるを得なくなって、あの日僕はあなたに「もうお店には通えない」と言うつもりだったんです。あなたがデートに誘ってくれたときに、だから思わず声が出ませんでした。決して嫌だった訳ではありません、むしろ畏れ多くて恐縮してしまったんです。思わず神様に本当に感謝したくなるほどでした。
 ついこの間のような気もするし、うんと前のような気もするのですが、あの日のことは今でもよく覚えています。梅雨どきなのによく晴れた土曜日でしたね。あの公園の、あの青いベンチで待ち合わせたのでしたね。もしかしたらからかわれただけじゃないか、と僕はこっそり不安だったんです。そうでなければ、あの夜のことは夢だったんじゃないか、とすら思いながら僕は二時間も早く待ち合わせ場所に行ってたんです。
 待ち合わせ場所に時間きっかりで来てくれたあなたを見付けて声を掛けたら、すごくびっくりされて逆に僕の方が驚いてしまいました。確かにお店にいるときとは全然雰囲気が違いましたけれど、間違いなく白梅さんでしたから。「今までの人は誰も気付いてくれなかった」とあなたは言ったけれど、その人達はきっとステージのあなたが眩しくて顔をよく覚えていなかっただけではないかと今になって思います。
 お化粧をしていなくても、鬘を外して男の子みたいなショートヘアになっていても、ジーンズを穿いていても、あなたはあなたですから。僕はあなたの大ファンですから、あなたがどんな格好をしていても絶対に見分けられます。その自信だけはあります。
 あのとき僕は、羽衣を脱いだ天女がどんなものなのかを知りました。確かにお店にいるときよりもうんと幼くて、小さな女の子みたいに危なっかしかったけれど――でも僕は、そんなあなたをもっともっと好きになりました。空高くに舞い上がって行ってしまいそうな手の届かない人が、目の前でおっかなびっくり走り回っているのが嬉しくて堪りませんでした。
 僕はきっと、昔話に出てくる天女の夫よりも、ずっとずっと幸せ者でした。


 デートの後、お店まで送って行こうとした僕に「もうお店に来ないで」と言ったこと、あなたは覚えていますか?
 凄く悲しかったけれど、どこかで僕はほっとしていたんです。僕にはもうお金がなかったし、何よりあなたにお金を払うのが辛かったから。まるであなたをお金で買っているみたいな、あんなもので地上に縛り付けているみたいな、そんなことをもうしたくなかったんです。
 そんな僕にあなたは言ってくれたんです。僕からお金を貰うのは嫌なのだ、と。お店の中の自分は本当の自分ではない「お店の舞姫」で、だからそんなところではなくて本当の自分を見て欲しい、と。
 ――そのときの、僕の気持ちをどうにかして伝えたいと思ったんですけど、いい言葉が少しも見付からなくて。すみません。
 だから、その場で約束したんです。毎晩あなたを迎えに行く、と。
 あんな頼りないあどけないあなたを、一人で夜道に送り出したくなかったから。羽衣を脱いだ天女がどれほど不安げな姿なのか知ってしまったから。こんな僕でも、せめてあなたの盾にはなれるかなと思って。
 それを許してくれて、ありがとうございます。あのときお礼を言ったけれど、まだまだ言い足りない気分なんです。


 それなのにしばしばあなたを待たせてしまって、本当にすみませんでした。僕のことを待っていてくれて、ありがとうございました。
 何もその理由を説明出来なかったこと、本当に本当に申し訳なく思います。あなたまで巻き込みたくなかったんです。
 僕が大学で経済学を専攻していたのはご存じですね。仲間達と独自の研究をしていたと言うことも、もしかしたら言ったかもしれません。
 ――あの頃、僕達はとても貴重なデータを手に入れて、その計算をしていたんです。この国をもっといい国にする為に、中華からの完全な独立を果たす為に、考えなければならないことは山ほどあったにも関わらず、その為のソースが圧倒的に足りなかったから。だからそのデータから、何か導き出せないかと苦心していたんです。決して他意はありませんでした。この国の未来を思って、僕達はその研究をしていたんです。
 それなのに、弾き出された事実は信じられないものでした。このままではこの国は極度な二階層化が進行し、最終的には破綻を来たすしかないといったものでした。その為に練られるべき善後策は自明である為にも関わらず行われず、逆にそれを進めるような社会現象が発生していると言うことも明らかになりました。
 この国の上層部は密かにこの国を中華の属国にして、その折に自分達の身分をよりよく保障してもらおうとしていると言うことを、それは意味していました。そしてより自分達に有利に話し合いを進める為だけに、長引く領有問題を先送りにして、中華との衝突や干渉の中で犠牲になる人を見殺しにしていると言うことも。
 ――そして僕達は気付いたのです。これは、知ってはならない恐ろしいことなのだと。全ての経済学者達が黙って見ぬふりを続けて来たことなのだと。
 慌てて隠蔽を始めました。初めは研究で、その後は隠蔽工作で、毎晩遅くなってしまったんです。
 本当にすみませんでした。お店のドアの裏側で、ずっと待ってくれているあなたの姿を見るのは、とても辛かったです。 


 隠蔽工作は、遅過ぎました。
 昨日うっかり僕が研究室に入ると、もう警察の人達が待ち構えていました。
 ――ただ不幸中の幸いは、逮捕されたのが僕だけだと言うことです。他の人達はどうやら、逃げるのに成功したらしいです。まだ尋ねられ続けていることから考えると、誰も見付かっていないのでしょう。取調官の人は、僕から何とかして聞き出せば他の人達の居場所がわかると信じているようですが、僕自身知らないので答えようがありません。
 僕はもう、ここを出ることは出来ません。すみません、だからあなたを迎えに行くことが出来ません。
 何分急なことだから、あなたに一言も説明出来ていなくて、それが心苦しい限りです。あなたには何も言っていないから、事情もわからないまま待ちぼうけになっているのではないでしょうか。お店の人が皆帰ってしまった後も、一人で待っているのではないでしょうか。とてもとても申し訳なくて不安で堪りません。
 もう僕のことを待つ必要はありません。どうか早く、他の人と一緒に家に帰って下さい。お願いします。
 「あんな奴、こちらから願い下げよ」とか罵って、どうか僕のことは忘れて下さい。お願いします。
 僕と出会ったことも、僕と話したことも、全て忘れて下さい。お願いします。
 僕に関わる全てのことを、なかったことにして下さい。お願いします。
 束の間だったけれど、あなたが傍にいてくれて、僕は本当に本当に幸せでした。天女は必ず天に帰ってしまうものだと幾ら自分に言い聞かせても、気分がふわふわ浮き立ってしまうのを止めることが出来ませんでした。このままもしかしたら、幸せすぎて本当に僕まで天に昇ってしまうのではないかと思うくらい。
 ――だから、もう十分です。本当はもっと一緒にいたかったけれど、欲を言えばきりがありません。
 羽衣を返したいけれど、それは僕の手にはありませんから。


 最後にお願いがあります。
 どうかあなたも、幸せになって下さい。
 本当はこっそり、あなたが僕に幸せをくれた恩返しに、僕もあなたを幸せに出来たら、なんて思ったこともあったのですが。もう無理でしょうから。
 ――だからせめて、ここからでも祈らせて下さい。あなたが幸せになれますように、と。
 こんな監獄ですが、一応高いところに窓はあるので。星も見ることが出来ますから。


 長い長い手紙を失礼致しました。
 元々字が下手な上にひどい筆記用具と紙で、見苦しくてすみません。
 それでも、どうかこの手紙があなたの元へと届きますように。
 今まで本当にありがとうございました。
 さようなら、白梅さん。

                朴 慶三       





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