前夜



 ――迎えに行くよ。
 千葉樹は、胡同と胡同の間を早足に通る。
 ――青隹、迎えに行く。
 往き過ぎる人々は一瞬驚いた顔をするが、その表情を見て知らずの内に笑顔になる。
 ――ようやく、お前のことを。
 この界隈に住む人間ならばどんな小さな子供でも、彼のその表情の意味がわかった。彼が過ぎるたび、人々は笑いさざめき、噂の中で彼を祝福する。
 ――長い間待たせたけど。
 誰もが知っていた。この国に住む者の内、彼を知らない者は誰一人としていなかった。
 ――もう大丈夫。
 千葉樹は、この大国の頂点に君臨する皇帝だった。
 ――迎えに行くから。


 熹J帝千葉樹が即位したのは、彼が僅か五歳のときであった。生来心身ともに弱かった父が崩御したとき、国はもはや荒廃の窮みに陥っていた。
 悪い人ではなかった、ただ弱すぎたのだ。人は皆、先帝をそう評した。彼はもうほとんど覚えていないが、確かにおっとりとした優しげで哀しげな笑顔は朧気に記憶の奥底に残っている。育ちのよい文人肌の父は官吏の横行を抑えることも出来ず、佞臣が私腹を肥やし国家が荒んで行くのを、手を拱いて見ていることしか出来ない人だった。そして生涯、皇帝位に翻弄され続けていた。
 生母は父の寵愛が篤かったものの身分が低く、父もまた周囲の反対を押し切って高位に上げてやることが出来ず、不遇のまま千葉樹が物心付く前に死んだ。そして後ろ盾となる外戚はなく、まだ幼かった皇子はたった一人で取り残されることになった。父が断り切れずに迎え入れた後宮の無数の宮女達は、その多くがこの皇子の存在を苦々しく思っており、また前朝の歴臣も自分の地位を向上させる為ならば彼の命運などいかにでも左右しかねなかった。父が生きている内はそれでもまだ何とかやっていくことも出来たが、彼が亡くなると千葉樹は完全な天涯孤独の身でこの広大な朝廷に放り出されてしまったのだ。
 ――その彼を引き取って母親として育ててくれたのが、皇后施氏だった。
 罪人の娘として十二歳で後宮に放り込まれたはずの彼女は、取り立てて寵愛を享けた訳でもないのに何をどうしたのか僅か数年で見る見る出世を果たし、千葉樹の母を苛めていた前皇后を追い落とすと、ちゃっかりと自分がその地位に納まっていた。そして子供がいなかったこともあり、孤児になった千葉樹を自分の息子として迎え扶育したのである。
 父帝が亡くなった後、その後継問題で朝廷は波瀾に揺れた。様々な遠戚を担ぎ出してきて臣下達は銘々自分の勢力を伸ばそうとした。幼過ぎる、そして縁者のいない太子はその中に埋もれて消え失せてしまうはずだった。
 ところがいざ蓋を開けてみると帝位は千葉樹のものになっていた。後見は皇太后に即位した施氏、それから皇太子傳の瀬戸氏と宰相の杜淕他並々ならぬ重臣達が肩を連ね――誰も口出しが出来ないほど完璧な根回しが行われていた。そしてまだ何もわからない皇帝に代わり、施太后による垂廉聴政が布かれることになったのである。
 初めは誰もが当時僅か十七歳の皇太后を見くびっていた。しかしやがて一目を置くようになり、その内冷たい汗を流すようになり始めた。
 ただ美しいだけの人形だと思われていた施太后は、それまで被っていた女の皮を脱ぎ捨てたように国政の建て直しに乗り出したのだ。彼女は一瞬の隙も持たず、誰にも反論する余地を与えなかった。筋の通らない官吏の意見は一切歯牙にもかけず、どのような恐喝紛いの威圧にも屈せず、媚びへつらう者をも撥ね退けた。大人しい先帝を思うがままに突き動かしていた官吏達はそもそも彼女に太刀打ちする術を持たず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
 やがて深刻だった国内の飢餓の問題を片付けると、皇太后は一気に外臣達の粛清に乗り出した。驚くほど詳しく、彼女は外臣一人一人の悪行を知っていた。先帝を無能と見くびり、ろくに隠蔽すらしないままあからさまな横行を働いていた臣下達は、自分の迂闊さをその頃になってようやく悔やんだ。皇帝の傍で彼女は、何もかもを黙って見詰め続けていたのである。ずっと皇后時代に沈黙を守り通していた彼女は、その間に全ての臣下を篩に掛けて選り分けていたのだった。
 無論反発する者もいたが、彼女はそれを一太刀の元に斬り捨てていった。将来に渡り皇家の禍根になりそうなものは全て取り除いていった。自分や幼い皇帝に仇為す者には一切容赦をせず、遂には千葉樹即位のときに功労のあった重臣を処分するにまで至った。やり過ぎとの声も大きかったが、それがあながち間違った判断でなかったことは、彼女の元から優秀な人材が離反しなかったことからも明らかだった。
 施太后の治世の元で、荒れ荒んだ国土は豊かさを取り戻し始めた。やがて彼女は地母神の再来とも鋼の夜叉とすらも詠われるようになった。
 ――けれど千葉樹だけは知っている。
 この巨大な国家を背負うのは女神でも夜叉でもなく、幼子を抱えたうら若い未亡人なのだと言うことを。
 即位し立ての頃、千葉樹は父母が恋しくて毎晩泣いた。どうにもならないことは子供心にわかっていたが、それでも声を上げて泣いてばかりいた。
 そんなとき皇太后は優しくたしなめるでもなく宥めるでもなく、一頻りうろたえた後に自分まで一緒になって泣き出すのである。挙句困り果てて千葉樹を泣きながら折檻しそうになって、慌てた宦官や侍従に押し留められることすらあった。
 今になって思えば、外政であれだけ奔走して後宮に戻ってみればうるさい子供が泣き喚いているのだから、さぞや鬱陶しかったことだと思う。それでも彼女は千葉樹の元に帰って来ることを忘れなかった。一緒になって泣き喚いたり子供のように当り散らしたりしながら、それでも最後には彼のことを抱き締めてくれた。時間が許す限り一緒にいて、差し向かいで食事をしたり学問を見たりとしてくれた。母になるには若すぎた彼女が時に彼のことを持て余しているのは千葉樹自身わかっていたが、それでも決して彼を見捨てようとはしなかった。
 いわゆる良い母ではなかったかもしれない。けれど千葉樹は今まで施太后のことを他人だと思ったことは一度もない。欺瞞ではなく、本当に彼女を母だと思っている。今も昔もそれは変わらない。


 在位十年目で千葉樹が十五歳になるのを待って、施太后は彼に政権を譲り渡した。過去に名を残した皇太后のように政権に執着することもなく、周囲から起こる彼女を慕う声も無視して引退したとき彼女は僅か二十七歳。再嫁して女としての幸せを手に入れることも出来ただろうに、施太后はそのまま後宮の奥深くに下がったきり二度と人前に姿を見せることはなくなった。
 すぐに千葉樹はその意味に気付かされた。彼女が譲ったこの国の体制は、もはや揺るぎない盤若なものになっていたのだ。そして彼女の再嫁はともすれば、その均衡を崩しかねない大きな問題なのだった――それほどまでに彼女はこの国にとって、偉大な存在だったのだ。
 彼の父が心ならずも荒ませてしまったこの国を引き取って自分の幸せを何もかも犠牲にして磨き上げ、彼女は千葉樹の手の中に落とし込んでくれたのだった。その国をもう二度と、何があっても乱すことは許されない。それだけを念じて千葉樹は今までこの国を治めてきた。
 彼が政権を取り仕切るようになってからも、皇太后はよい教師であり相談役であった。彼女を真似て政治を整えて行けば、自然と国は豊かになった。わからないところを相談すれば、一緒になって嬉しそうに問題を考えてくれた。そうしている内に国土はよく治まり、開闢以来の繁栄とすら詠われるようになった。
 その内、しばしば千葉樹は皇城を抜け出して、城下を散策するようになった。下からの報告だけでなく、自分の目で自分の国の様子を確かめたかったのである。当然周囲には猛反対を受けたが、皇太后の一声で何とか許可された。
 そして自分が誰の為にこの国を守っていたのかようやく知った。皇太后の恩に報いる為に善政を布こうと思っていたのが、とんでもない誤解なのだとわかった。自分が働くべきなのは、自分が奉仕すべきなのは、本当は彼女ではなく、確かにこの国で生きている民なのだ。
 国の繁栄を喜ぶ民の姿が堪らなく嬉しかった。何かどうしようもない問題に嘆く姿を見ると、何とかしてやりたくて堪らなくなった。皇太后の選りすぐった優秀な側近に恵まれたのもあり、それ等の願いはすぐさま実を結び、やがて彼は聖王とすら呼ばれる名君に成長した。
 その頃にはもう、誰も千葉樹の行動に文句を付けることはなくなった。護衛を連れずに気ままに街へと降りることも出来るようになった。気楽などこかの若旦那を装ってあちこちを渡り歩けるようになった。
 ――そして彼女に、青隹に出会ったのだ。


 都の中でも比較的端の、繁華街から少し外れた胡同の中に青隹は暮らしていた。気立てのよい優しい綺麗な娘で、よく近所の子供達と歌を唄って遊んでいた。何となくよく見掛ける内に親しくなって、色々と話をするようになった。
 身形の割に丁寧な身ごなしをするのでふと尋ねてみたところ、元は官吏の家の娘だったのだと恥ずかしそうに言った。先帝の代に、敵対する別の官吏に追い落とされて零落し両親を亡くしたのだと、胡同の片隅の小さな家に一人ぼっちで住んでいた。
 そのとき改めて、無能の父の罪を知った。臣下の横暴を止められず自分自身が翻弄されるのは、彼自身の不幸に過ぎない。けれどこんなところにまでその類が及んでいるのを目の当たりにすると、不幸で無力だった彼を思わずなじりたくなった。皇帝の幸不幸は個人の問題ではない、国家全体の問題なのだ。
 千葉樹は青隹に、自分が皇帝であることを打ち明けてしまった。そして縋るように、自分は上手くこの国を治められているか尋ねた。さすがにしばらく呆気に取られたものの、彼女は微笑むと彼を自分の家の中に引っ張り込んだ。
 青隹は家の奥で何かごそごそと用意した後、大きな皿一杯に丁寧に作った包子(パオズ)を持って出て来てご馳走してくれた。それを家の前で子供達に振舞いながら、嬉しそうに言った。
 ――お祭りでもないのに、わたし達は毎日ご飯を食べられます。それはあなたのお陰です。
 それを聞いたとき、不覚にも涙が出た。自分のやってきたことの意味がようやくわかった。父の守れなかった、皇太后が何もかも犠牲にして守っていたものの正体を知った。そして皇帝が――自分が一体何の為に存在していたのか、そのときになって初めて理解することが出来た。
 子供達にからかわれて慌てて涙を隠しながら食べた包子の少し塩辛い味と、笑って見て見ぬふりをしてくれた青隹の笑顔は多分一生忘れない。


 青隹に惹かれていった。
 ことあるごとに千葉樹は彼女の元を訪ね、彼女もそれを快く受け入れてくれた。日が暮れる頃になれば帰らなければならなかったし、政務を放り出す訳にもいかなかったので、青隹の傍へ行くことが出来る時間はひどく限られていたが、それでもいつも彼女は待っていてくれた。
 彼女の顔を見るだけで嬉しかった。彼女の傍にいるだけで幸せだった。彼女の声を聞くだけで憂いを忘れた。彼女が好きだった。
 余りにも足繁く通うので、遠慮のない胡同の人々に冷やかされることも多かったが、全く構わなかった。むしろ青隹の方が照れ臭そうな顔をしていたが、それでも多分お互い嬉しそうな顔をしていたのではないかと思う。
 青隹を妃に迎えたいと思うのは、千葉樹にとって当然の成り行きだった。彼にはまだ一人の妃もおらずその意味での軋轢は心配なかったし、第一在位二十年目を目前に控えた皇帝に妃がいないと言うことは周囲の側近にとっても頭が痛い問題だった。聖王と仰がれる彼に勝手に妃をあてがうことは誰もが躊躇する――それほどの大事であり、彼が勝手に妃を見付けて連れて来てくれるならと概ね周囲は青隹を迎えることに好意的であった。
 その中でたった一人反対したのが、他ならぬ皇太后施氏だった。
 ――その娘は、本当に皇后の器なの?
 青隹を迎えたいと告げたとき、皇太后はただそう一言だけ言うと下がってしまった。食い下がる暇もなかった。千葉樹はその場に立ち尽くすしかなかった。
 一線を退いたとは言え、皇太后の意向は未だに絶対的な威力を持っている。彼女が乗り気でない限り、後宮に青隹を迎えることは適わない。けれどそれよりも、彼女に反対されたと言うことの方が辛かった。
 誰が反対しても、彼女だけは祝福してくれると思っていた。彼女だけはどんな窮地に陥ってもいつも千葉樹の味方だった。だから今回もそうだと信じて疑わなかったのに。こんな風に呆気なく自分の望みを打ち捨てられてしまうなどと露ほども考えてはいなかった。
 無論、それだけで引き下がるつもりは毛頭なかった。彼女に認めてもらうまで何度でも千葉樹は食い下がる心積もりだった。だが、施太后は一向に耳を貸そうともしない。全く相手にすらされていないのだと気付いたときには、さすがに悔しくて唇を噛んだ。
 初めはすぐにこの問題が解決すると思っていた周囲も、二人が思いの外に強情なのを見て取ると少しずつざわめき始めた。現在政局の全権を握る皇帝の意向に沿う者と、今尚絶大な影響力を持つ皇太后の側に付く者、次第に皇帝の正妃問題で政局は二分された。これまで盤若な体制を誇っていただけに、この分裂を見るのは千葉樹には忍びなかったが、それでもこれを譲る訳には行かなかった。
 皇帝でいる限り、生きてゆく限り、必ず妻を娶らなければならない。青隹以外の女性を妻にすることなど考えられなかったし、彼女以外の女性をこんな風に愛せるはずがなかった。これから先の人生を彼女なしで過ごすなど、考えただけで恐ろしくて寂しくて足が竦みそうだった。
 とにかく時間を掛けて説得すれば皇太后も聞き入れてくれるものと信じて、千葉樹は地道に政務をこなしながら時間を作っては青隹の元を訪れた。何も言わずただ黙って彼を待っている彼女の姿を見るたびに申し訳がなくて焦りを感じたが、それでも地道に皇太后の説得に当たろうと思っていた。
 だが、思いの外に早く我慢の限界はやって来た。皇太后派の臣下の数人が思い余って、青隹をどこかにこっそりと隠そうとしたのである。幸い近所の人の反発や千葉樹の予定外の来訪で事なきを得たが、これ以上彼女の身に危険が及ぶようでは黙っていることは出来なかった。遂に思い余って千葉樹は制止を振り切って強引に施太后の居殿に乗り込んだ。
 そしてそこで、目を瞠ることになった。
 皇太后は、自分の意向に沿おうとして青隹に害を及ぼした数人を呼び付けて、厳しい叱責を加えていたのだった。
 ――その女まで巻き添えにしてどうするの、あんた達は陛下の可愛がる女に何をするつもりだったの、と。


 人払いをして二人きりになったものの、お互いにひどくばつが悪かった。
 しかしふと、施太后は呟くように言った。
 ――雌鶏が鬨を作る家は滅ぶ、って昔からいうわよね。
 ――そんなことはありません。
 それが昔、彼女が政治の主権を握ったときに盛んに囁かれた諺だとすぐにわかった。けれど今更何故そんなことを言い出すのか彼女の考えが一向に掴めないまま、千葉樹は続けた。
 ――母上は、よくこの国をお治め下さいました。それは感謝致します。
 不意に彼女は寂しそうに笑った。まだ四十前なのに、ひどく疲れた笑顔だったのが何故か胸に堪えた。
 ――あたしが守らなきゃ、あんたもこの国も今ここになかったわ。あたしがやらなきゃ、誰も守ってくれなかったんだもの。
 ふとおぼろげな父の面影が浮かんだ。彼は、千葉樹のことも生母のことも、彼女のことも守らなければならかった。それなのに大切なものを守ることも出来ず、国を荒らしてそのまま不幸の中で去って行った。彼が強ければきっと、施太后はこんな政治の喧騒とは無縁のまま生きてゆくことが出来た。
 ――皇帝なんて、何が起こるかわからないのよ。もしものとき取り残された女は、その不在を守らなければいけないの。あんたの大事な女は、それが務められる?
 血も繋がらない子供と荒みきった国土は、まだ当時十代の少女だった彼女には手に余る荷物だったはずだ。けれどそれを抱きかかえて、泣き喚きながら波瀾の宮廷を潜り抜けて来た彼女は、誰よりもその重責を知っている。それがどんなに苦しいことか知っている。――そんな彼女に対して安易に「はい」と答えるのは、他ならぬ彼女に対して最大の侮辱に他ならない。
 千葉樹は静かに首を振った。
 ――いいえ、彼女には無理です。彼女はきっと、俺がいなくては生きていけない。
 施太后はそっと首をもたげた。そんな仕草はまだ、驚くほど若い。今の自分の歳で、女の細腕で、この女性はあの荒廃した国を立て直したのだと思うと、改めて彼女に対して畏敬の念が湧き上がるのを抑えることが出来なかった。けれど今は彼女を畏れている場合ではない。
 ――だから、俺が守って見せます。
 父に出来なかったこと。この若すぎる母が誰からも与えられなかったこと。そしてこの母が、自分に対して与えてくれたこと。
 この身に有り余るほどに、その記憶は残っている。大丈夫、自分にならば出来る。全てこの母から学んでいる。
 ようやくわかった。皇太后が何よりも恐れていたのは、政局の不安でも手塩に掛けた我が子を奪われることでもない。この宮廷の中で千葉樹の愛する女性が傷付くことと、それを守り切れなかったときに千葉樹がそれ以上に深く傷付くことを何よりも恐れたのだ。かつて、彼の実の両親が共に味わった苦しみと悲しみを、彼までが味わうことのないように――それだけの為に、自ら悪役を演じたのだ。
 今になればわかる。彼女はいつでも、本当にどんなときでも、彼の幸せを最優先に考えてくれていたのだ。それこそこの国の安定よりもまず先に。だからこそ政局の分裂が起ころうとも、彼が傷付く可能性を回避しようとしたのだ。
 ――あんたは、大事な女をちゃんと守ることが出来るの? あんたの母様のような思いをさせないと約束できるの?
 ――はい。
 改めてその質問の重みを噛み締めながら頷いた。
 雌鶏が鬨を作ったから家が滅ぶのではない――雌鶏が家を滅ぼすのではない。本来采配を振るわねばならないはずの男が不甲斐ないから、やむなく彼女達は立ち上がらなければならなかったのだ。雌鶏の鬨の声は国家を滅ぼす予兆ではない、滅び掛けた国を支えようとした女性の悲鳴なのだ。少なくとも自分は、これ以上そんな思いをさせてはいけない――青隹にも、この母にも。
 青褪めて見えるほど強い意志を滲ませた皇帝に、皇太后は少し意地悪く口角を上げた。
 ――……もしも、あたしがその女を邪魔だと思っても? 守り抜いてやることが出来るの?
 思わず一瞬言葉に詰まったが、それでも千葉樹は不敵に笑って見せた。そして自信を持って答える。
 ――はい。
 じっと黒々とした綺麗な目で値踏みするように千葉樹を見詰めていた施太后は、ふっと視線を反らすと軽く肩を竦めた。
 ――馬鹿を言わないでよ、こんな離れたところにいて守るも何もあったものじゃないわ。
 何度も瞬いてみせる千葉樹に、観念したような笑顔で母は言った。
 ――……早く連れておいで。それとも何? こんな鬼姑には見せられないほど可愛い嫁なの?


 通い慣れたこの辻を曲がれば、胡同沿いに彼女の家がある。
 きっと今日も、その門のところで彼女は佇んで待っている。
 長い間待たせた。長い間待った。――だからもう、一瞬でも早く。
 ――迎えに行くよ、青隹。



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